東京高等裁判所 昭和41年(う)2501号 判決 1967年9月14日
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役五月に処する。
ただし、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。
当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。
理由
国広弁護人の控訴趣意第二点(理由不備の主張)について。
所論は、原判決は、罪となるべき事実として、原判決が訂正引用した起訴状記載の公訴事実と同一の事実を認定し、これを背任罪に問擬したが、右の事実によれば、原判決は、本件農地につき、その所有名義人である被告人が、その転買取得者である菅谷定一等のため原判決認定の知事に対する農地転用のための所有権移転の許可申請ないしは所有権移転登記をする義務を負担していたというにとどまり、被告人が右菅谷のためその事務を処理すべき任務にあつたことを認めるべき具体的事実については、なんらこれを判示しておらず、原判決には、この点において背任罪を構成すべき事実の判示を一部遺脱した理由不備の違法がある、と主張する。
しかし、原判決が訂正引用した被告人に対する昭和四〇年一二月二二日付起訴状記載の公訴事実中所論指摘の関係部分を前後の文脈に照らし、挙示の関係証拠および関係適条とも対比して仔細に検討考究するに、原判決は、その認定事実中所論指摘の関係部分において、本件農地がその所有名義人である被告人から篠田寅雄に、次いで篠田から和田フクに、さらに和田から菅谷定一にそれぞれ宅地に転用する目的で順次売却されたため、右菅谷において千葉県知事に対し農地転用のめた所有権移転の許可申請をし、さらに右許可があつた場合所有権移転の登記をするについて、被告人が、右農地の譲渡人または登記義務者として右各手続に協力すべき義務を有し、従つてまた、右各手続の終了するまで、右農地をほしいままに他に処分しないばかりでなく、可及的すみやかに右各手続上の義務を尽くして、買主たる菅谷において右農地の完全な所有権を取得することに協力すべき任務を主として同人のために負担する身分関係にあつた事実を認定したものと解するのを相当とし、右の事実によれば、被告人において、菅谷定一に対する関係において、刑法第二四七条にいわゆる他人のためその事務を処理する者として前記任務を有していたことが明らであるから、原判決には、所論のごとき理由不備の違法は認められない。論旨は理由がない。
国広弁護人の控訴趣意第一点、第三点盛川弁護人の控訴趣意第一点、第二点(いずれも事実誤認、法令適用の誤りの主張)について。
所論は、原判決は、被告人が鳥羽孝と謀議のうえ、千葉県知事の許可を所有権移転の条件として自己所有の原判決認定の本件農地を代金五万円で篠田寅雄に売り渡した後、これを篠田において和田フクに、次いで和田において菅谷定一に順次いずれも宅地転用のため転売したため、篠田または後の転買者のため知事に対する許可申請ないしは所有権移転の登記をなすべき義務を有するに至つたにかかわらず、これに協力せず、右土地が登記簿上なお自己の所有名義にあるのを奇貨として、土地の値上りによる利得を企図し、自己および鳥羽孝の利益を図る目的をもつて、同人と共謀して、これを代金一二〇万円で佐藤正一に売り渡して同人のため所有権移転請求権保全の仮登記をし、もつて菅谷に対し右相当額の損害を加えたとの事実を認定して、被告人の右所為を背任罪に問擬したが、(一)被告人は右篠田と和田間および和田と菅谷間の各売買には関係しておらず、従つて菅谷のため原判決認定のごとき知事に対する許可の申請をしまたは所有権移転登記をすべき義務はなく、仮にかかる義務があるとしても、被告人が菅谷のためその事務を処理する者とはいうことができず、また(二)被告人において本件農地を佐藤正一に売り渡して同人のため所有権移転請求権保全の仮登記をした事実はなく、仮に右の事実があるとしても、これをもつて被告人に菅谷に対する背任行為があつたものとすることはできず、さらに(三)仮に右の事実があつて背任行為に当るものとしても、仮登記は本登記があつた場合のその順位を保全するに過ぎず、仮登記だけでは佐藤は本件農地の所有権の取得を菅谷に対抗できないのであるから、被告人が佐藤のため仮登記をしたことによつて菅谷の権利が侵害されて同人に財産上の損害が生じたものとすることはできず、以上いずれの点よりするも、原判決には事実を誤認したかまたは法令の解釈適用を誤つた違法がある、と主張する。
よつて、まず前記(一)の点につきみるに、原判決挙示の各関係証拠を総合すれば、被告人と篠田寅雄間、篠田と和田フク間および和田と菅谷定一間に順次それぞれ本件農地を宅地に転用するための所有権の移転を目的として原判決認定のごとき各売買のあつた事実を認めるに足り、さらに記録を精査し、当審における事実取調べの結果に徴しても、原判決には、この点において事実の誤認があるものとは認められない。ところで、農地を農地以外のものに転用するためその所有権を移転するには、都道府県知事の許可を受けることを要し、許可を受けないでした法律行為はその効力を生じないこととされている(農地法第五条第一項、第二項、第三条第四項)ため、被告人と篠田間の本件農地の売買は契約の成立があつたにとどまり、所有権は依然として被告人にあつてその移転の効力は生じておらず、しかも記録に照らせば、篠田が被告人から停止条件付所有権を取得したうえ、これを売買の目的として和田に移転し、和田もまたこれを菅谷に移転したと認むべき関係はなく、篠田と和田間および和田と菅谷間の各売買は、いずれも右農地の所有権そのものを目的としたものであつて、篠田は右農地の所有権が被告人にあつて自己に移転していない事情を知りながら鳥羽敏を代理人として和田との売買契約を締結したものであるにしても、買主たる和田は右の事情を知らず、同様これを知らない佐々木作衛を代理人として篠田との売買契約を締結し、同人からその所有権の移転を受けたものとして、代金を支払つたうえ農地の引渡しを受け、さらに和田と菅谷間の売買においても、和田は自己を右農地の所有者と信じ、右佐々木を代理人として菅谷との売買契約を締結し、菅谷においても和田を所有者と信じ、右の売買契約により本件農地の所有権を取得したものとして、その代金を支払つて農地の引渡しを受けたものであることが明らかであり、結局篠田と和田間および和田と菅谷間の各売買は、それぞれ他人たる被告人に属する右農地の所有権の移転を目的としたことになるので、右各売買契約の所有権移転の効力以外の効力として、(イ)被告人と篠田の関係において、本件農地につき千葉県知事に対し農地転用のための所有権移転の許可を申請し、さらに右の許可があつた場合所有権移転の登記を申請するにあたり、買主たる篠田においては、売主たる被告人に対して譲渡人または登記義務者として右各申請手続に協力することを請求することができるとともに、売主たる被告人においては、篠田の請求に応じて右各手続に協力すべき義務を負い、また(ロ)篠田と和田および和田と菅谷の各関係においては、民法第五六〇条に基づき、各買主たる和田と菅谷においては、それぞれ各売主たる篠田と和田に対し本件農地の所有権を取得して自己に移転すべきことを請求することができるとともに、各売主たる篠田と和田においては、それぞれ右農地の所有権を取得して各買主たる和田と菅谷に移転すべき義務を負うに至つたものというべく、しかも宅地に転用するための農地の売買にあつては、買主の有する民法第五六〇条に基づく請求権には、売主に対して、知事の許可を申請する手続に譲渡人として協力するとともに、知事の許可があつた場合さらに所有権移転の登記手続に登記義務者として協力することを求める権利をも包含するものと解するのを相当とするので、本件において菅谷は、和田に対する自己の右請求権を保全するため、篠田に対する和田の右請求権を同女に代つて行使する際、被告人に対する篠田の前記(イ)の請求権に対して和田の有する代位権をも行使できるものというべきであるばかりでなく、かかる法律関係のもとにおいて、右代位権行使の方法として、菅谷は、被告人に対して、直接自己のため前記知事に対する許可申請ないしは所有権移転登記の各手続に譲渡人または登記義務者として協力することを請求することができ、被告人においてもこれに応じて右各手続に協力すべき義務を有するものと解すべきであるから、被告人は、可及的すみやかに右各手続上の義務を尽くして、買主たる菅谷が右農地の完全な所有権を取得することに協力するとともに、前記登記の完了するまでは、右農地をほしいままに他に売却するなどして処分することなく保持すべき信義則上当然の任務を有するものというべく、しかも被告人が右の任務を主として他人である右農地の買主菅谷のために負うものであることも明らかであつて、原判決が原判決認定の各義務を被告人に認めたうえ、被告人において知事に対する許可申請ないしは所有権移転の登記に協力せず、本件農地を佐藤正一に売り渡した所為をその任務に背いたものとして背任罪に問擬したのは、ひつきよう右と同一の見解において、被告人が他人たる菅谷のためその事務を処理する身分関係にあることを認めた趣旨と解されるので、原判決には、この点においても事実誤認ないしは法令の解釈適用の誤りがあるものとは認められない。
そこで次に前記(二)および(三)の各点につきみるに、原判決挙示の各関係証拠を総合すれば、被告人が、菅谷定一において本件農地を買い受けた後、その事情を知りながら、登記簿上自己にその所有名義があるのを奇貨として、鳥羽孝と共謀のうえ、自己および同人の利益を図る目的をもつて、右農地を佐藤正一に売り渡し、かつ知事の許可により所有権移転の効力が生じた場合の所有権移転登記の順位を保全するため、本件農地につき被告人と鳥羽ふじい間の売買を原因とする、農地法第五条による千葉県知事の許可を停止条件とする所有権の移転があつた旨の右売買に先だつてあらかじめなされた仮登記に付記して、右仮登記にかかる停止条件付所有権が譲渡により佐藤正一に移転した旨の登記をして、不動産登記法第二条の停止条件付所有権移転請求権保全の仮登記に準拠した手続(以下、本件仮登記という。)を行なつたが、いまだ前記知事の許可を得て所有権移転の登記を経由するに至らなかつた事実が明らかであつて、原判決のこの点に関する認定も右と同趣旨の事実を認めたものと解されるばかりでなく、さらに記録を精査し、当審における事実取調べの結果に徴しても、被告人の原審ならびに当審各公判廷における右認定に反する供述部分は信用することができず、他に原判決に事実の誤認があることを疑うべき事由を見いだすことはできない。しかし、仮登記は、それに基いて将来なさるべき本登記のため順位を保全するに過ぎず、付記登記の効力も仮登記の効力以上に出るものではないから、本件仮登記がなされただけでは、佐藤においてその条件付所有権の取得をもつて第三者に対抗することができないのはもとより、菅谷としても本件仮登記にかかわらず、なお被告人に対する前記請求権を行使して、本件農地の移転に対する知事の許可を得たうえ、その所有権移転登記を経由することにより、その完全な所有権を取得することができるわけであつて、同人の権利が侵害されて原判決認定のごとき損害が加えられたものとすることはできないにしても、被告人がその任務に背き、本件農地の移転につき佐藤のたの知事の許可を得て所有権移転の登記を経由すれば、財産上の損害を菅谷に加えるに至ることを認識しながら、かかる手続の不可欠の前提をなし、直ちにこれに移行するのを通常とするものと認められる売買契約を佐藤との間に締結して本件農地を処分しようとしたことは、すでに背任行為の実行に着手したものというべきであるから、被告人の所為は背任未遂罪をもつて論ずるのを相当とし、これを背任既遂罪に問擬した原判決には、事実を誤認した違法があるものというべく、結局論旨は理由があるに帰し、原判決は破棄を免れない。
よつて、本件控訴は理由があるから、その余の論旨に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条第四〇〇条但書により原判決を破棄し、当裁判所においてさらに次のとおり判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和三〇年五月ごろ自己の所有する佐倉市鹿島町後家曲輪一〇二番地および同所一〇四番地の畑合計一反二畝一歩の農地を千葉県知事の許可を所有権移転の効力発生の停止条件として代金五万円で篠田寅雄に売り渡したものであるが、その後右農地を篠田から和田フクが、次いで和田から菅谷定一がそれぞれ宅地に転用する目的で買い受けたので、右菅谷のため、同人が千葉県知事に対し農地法第五条の許可を申請し、右の許可があつた場合さらに所有権移転の登記をするにつき、譲渡人または登記義務者として可及的すみやかにこれに協力するとともに、右登記の完了するまでは、右農地をほしいままに他に売却するなどして処分することなく保持すべき任務を有するにかかわらず、菅谷の右転買の事実を知りながら、昭和三九年五月二七日鳥羽孝と共謀のうえ、自己および同人の利益を図る目的をもつて、右の任務に背き、右農地を代金一二〇万円で佐藤正一に売り渡したうえ、右農地の所有権が農地法第五条による千葉県知事の許可を停止条件として、売買により被告人から鳥羽ふじいに移転した旨の仮登記に付記して、右仮登記にかかる停止条件付所有権が譲渡により佐藤正一に移転した旨の登記を経由したが、いまだ同人のため右知事の許可を得て所有権移転の登記を経るに至らずして官に発覚したため、菅谷に対して財産上の損害を加えるに至らなかつたものである。
<証拠の目標省略>
(法律の適用)
被告人の判示所為は、刑法第二四七条第二五〇条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に該当するので所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期範囲内で被告人を懲役五月に処し、情状刑の執行を猶予するのを相当と認め、刑法第二五条第一項によりこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予し、当審における訴訟費用は、刑事訴訟法第一八一条第一項本文に従い全部被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。(石井文治 山崎茂 渡辺達夫)